今日は大学時代の話をさせていただきますね。
私は今、写真とともに生きています。
写真は好きというよりは、体の一部のようなものになっています。
でも、それは、写真が好きではなかった時代が長かったからこそ、
写真と自分が、一体であることに気づいたんですよね。
昨日は、”写真館の後継ぎとして生まれたけど、
写真にコンプレックスを持ち始め、
写真を好きではなくなっていった”
という話をさせていただきました。
でも、大学に入った後も、しばらく写真のコンプレックスは続くのです。
私は、地元茨城の高校を卒業し、
日大芸術学部写真学科に入学しました。
一般の大学もいくつか受験したのですが、
結局は、日芸しか受からなかったんですよね。
高校時代は、ほとんど勉強していなかったのに、 よく入れたものです。
結局ここでも、写真の大学に入ってしまうことになるのですが、
写真とは離れることができない人生の始まりでした。
たまたま、日芸に入学できましたが、
やはり、写真はあまり好きではありませんでした。
というよりは、苦手だったんですよね。
苦手だったの写真から逃げるために、
音楽のサークルに入り、
バンド活動が中心の大学生活を送るようになりました。
学校の授業では、
写真が好きではないから、一生懸命やらない。
一生懸命やらないから、成績も良くなるはずもなく、
写真学科では落ちこぼれでした。
プライベートでは写真学科の友人よりも、
音楽仲間の友人といることの方が多く、
大学生活は、写真とは、かけ離れていきます。
まあ、友人は男女ともの多かったですが、
モテなかったですねー・・・
最低限の課題は提出しながら、
卒業制作も、なんとか通過し、無事に大学を卒業することができました。
日本の大学の甘い部分ですよね。
入学は大変だけど、卒業はできる。
後ほどお伝えする、アメリカの大学とは、大違いでした。
日芸時代の私といえば、
まわりは変わった友人が多い中で、
“普通の人”を目指していました。
今考えると、おかしいですね。
“普通を目指す”というのは、
“自分は普通ではない人”、ということを認めることです。
普通ではないからこそ、
普通の人に憧れていたんですよね。
普通ではない自分に自信がないので、
女性に対しても、ストレートにいけないですよね。
今、そう思います・・・
大学四年の夏に就職活動をし、
写真館業界とは違う世界にいこうと思い、
コマーシャルフォトの最大手、
ササキスタジオに就職が決まりました。
結局は、写真から離れることはなく生きてきましたが、
このコマーシャルフォトでの会社で、
最初の人生の転機を迎えるのです。
ちなみに、このササキスタジオ、
2016年に倒産してしまいました。
自分の就職した会社が倒産するって、
すごく悲しいです。
時代による写真業界の厳しさを感じたとともに、
これからの自分の生き方を考えさせられる出来事でした。
森藤ヒサシ Hicky
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